本を読む生活の方が良い。きっと。
どもども。
ときたま、無性に本を読みたくなることがあります。なんとなく手持ち無沙汰なとき。人付き合いにちょっぴり疲れたとき。歩んでいる道の先に、新たな壁が立ち現れたとき。そんなとき、僕は独りで、決まって独りで本を読みます。
始めて「よし、本を読むぞ」と思い立って本を手に取ったのは小学校低学年のとき。シャーロックホームズを読んでいた兄に憧れて、少しずつ本を読むようになりました。読めない漢字や意味を知らないカタカナは飛ばして、本を読むという行為をひたすら繰り返していました。あるいは当時の僕は、本を読んでいる自分に酔っていたのかもしれません。
順調に年を重ねて中学校に上がると、物語に浸かる心地よさを感じられるようになりました。教科書に載っているような、いわゆる名作とされている作品を手当たり次第に読み漁っていた気がします。授業の合間や夜寝る前、時間を見つけては物語に触れていました。なかでも特に印象に残っているのは、梶井基次郎の「檸檬」。夏の夜更け、椅子の上であぐらをかきながらページをめくっていると、文章のひとつひとつがすうっと心に入ってきて「ああ、自分は今、確かに生きているんだな」という、妙な幸福感で心が満たされたのを今でも鮮明に覚えています。
高校に進んでからしばらくは、とても本を読む気にはなれませんでした。端的に言うと、心を病んでいたからです。よくある話ですが、周囲と自分を比べて落ち込み、それを誰にも話すことなく1人で抱え込んでいました。そんなある日、僕は1つの試みとして、言い換えれば自己療養の手段として、没頭できる何かを探し始めました。そのなかで1番しっくりきたものは、やはり読書でした。しかしこのときは趣味としてではなく、ある種の訓練として本を読みました。
自分の傷を癒すために。1歩でも前へ進むために。
まるでボイラーに石炭を投げ込む機関助士のように、ひたすら活字を自分の頭に詰め込みました。その甲斐あってか、気がつくと僕は進みたい道を見つけ、それに向かって歩を進められるようになっていました。
最近は忙しさにかまけて本を読めていませんが、僕にとっての読書が、楽しくて、格好良くて、ほんの少しほろ苦いものであることに変わりはありません。コートに好きな小説の一節をペイントするぐらいに。
ではでは。
photo & text by コン
石川県出身。20歳。初対面の人に年齢を当てられたことがない。どうやら老け顔らしい。MBTIはINFJ-T。サカナクションと椎名林檎とsyrup16gが好き。プレイヤーを持っていないのに椎名林檎のアナログ盤を買ってしまった。
コン
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