文化を学んでこそ、文化生(自戒)

今回、私は「カルチャー」をテーマに記事を書くことになったのですが、記事の内容を考えれば考えるほど、音楽でも映画でもアニメでも文学でも、自分はカルチャーと呼べるものに対する理解がとても浅いと感じ、さらに考えが拗れ、結果的に「カルチャーって何…?」という哲学的な問いに囚われてしまい、全く執筆が捗りませんでした。

そんな中、太宰治の小説の中でこのような文章を読みました。

「時間のゆるす限り勉強しておかなければならん。日常の生活に直接役立てないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。 (中略) 覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記していることではなくて、心を広く持つということなんだ。つまり、愛するという事を知ることだ。」-太宰治 /「正義と微小」 

つまり、カルチャーというのは知識を豊富に蓄えることだけではなく、対象となるアートや文化に対し、リスペクトを持って学び続ける姿勢のことをいうのだと、私は解釈しました。

この一節のお陰で拗れた悩みは解決しましたが、同時に、私のカルチャーに対しての理解の浅さは、不勉強から生まれる心の狭さが理由なのだと痛感し、なんだか叱られたような気持ちになりました。

文化生である以上、カルチャー(文化)に対して手を抜いてはダメですね。

深夜1時に猛省しております。

photo & text by 烏龍

東京生まれ東京育ちなのに、全然東京に詳しくない22歳。世紀末に生まれたからか、退廃的な思潮を好む。趣味はダイエット、特技はリバウンド。もしも宝くじに当たったら、テレビのCM枠を買ってふざけた動画を流すので、お楽しみに。

烏龍